プロログ

ゆるーく登山や哲学的なことを語ります たまに恋愛論を語りますが説得力はないも同然なので不毛だったりします できるだけ読者の皆さんに楽しんでもらえるよう有益な情報の発信に努めます

小説ボトルネックの名場面紹介

こんばんわあさのです

お気に入りの小説「ボトルネック」を読んでいたらなかなかいいシーンがあったので紹介しようと思います。

 

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小説ボトルネックあらすじ(wikiから引用)

2年前に死んだ恋人の諏訪ノゾミを弔うため、彼女が死んだ東尋坊にやってきた高校1年生・嵯峨野リョウは母から兄の訃報を聞き、葬式のために戻ろうとしたところ、東尋坊の崖から転落してしまう。だが、死んだと思われたリョウは自分の住む金沢で目覚めていた。自宅に戻るリョウだが、家には存在しないはずのリョウの姉・嵯峨野サキがいた。

サキとの会話の中で、リョウは自分が生まれていない世界に飛ばされたことを実感する。リョウはサキと共に自分のいた世界とサキのいる世界の相違を見つめる中で、自らの身に起きた出来事の手掛かりを探っていく。

 いわゆるパラレルワールドに迷いこんでしまった少年のお話です。家庭の不和や恋人の死に悩みながらもどうしようもないことであるとあきらめて受け入れようとする少年は自分がいなくて、いるはずのない「姉」がいる世界では姉の機転によって家庭の不和や恋人の死が解消していることを見せつけられてしまいます。違いは嵯峨野家の二人目の子供が陰鬱な「ぼく」か活発な「姉」かというだけ。その後少年は自分こそが「ボトルネック」であると考え…死を意識します…ラストはまあ釈然としないものなのでご自分でお確かめください。ボトルネックとは瓶の首という意味でペットボトルの狭まった部分を指します。狭まった首は水の流れを妨げます。そのことから経済学などの言葉で流れを阻害するもの、効率を悪くするいわば足手まといな存在で問題解決のためにはまずこの部分を排除しなければならないとされています。この言葉を「ぼく」は雑誌か何かで見かけて自身への皮肉に感じます。

 いやあシリアスな話だ…(/ω\)

この作品の舞台は金沢ということもあり、北陸の陰鬱な天気が結構重要で象徴的なのです。恋人になる前のノゾミとの会話のシーンがなんだか心に来たので紹介します。

 ノゾミはゆっくりと、空を見上げた。もうすぐ冬という時期、既に日は暮れかけて、落ちてきそうな分厚い雲が空の全てを覆っている。雨は近いだろう。

「朝は晴れていたのに、夕方にはこんなふう」

視線を下ろすと、ノゾミはぼくの方を見た。

「この街は、雨が多すぎて」

 それがまるでぼくのせいでだと言われているようで居心地が悪かったけれど、ノゾミの嫌いという言葉は呪詛めいた意味ではないことがわかって、少しだけほっとした。

「この辺ローカルの、諺があるんだ。『弁当忘れても傘忘れるな』」

「本当にそんな感じ」

浅い溜息。

「晴れ間が見たいと思っても、いつも雲ばかりで」

「海を渡ってくる風のせいだ。どうしようもない」

「どうしようもない...。そうだけど。でも」

 口元がほんの少しだけひきつるように動いた。どうやらノゾミは、微笑んだようだった。

「わたし、青い空が見たい」

声の響きがその単純な希望を切なる願いのように聞こえさせる。しかし何ができるわけでもないぼくに、よりによって天気を要求されても、困り果てるしかなかった。

このときノゾミは父の借金と破産で横浜から金沢へと引っ越してきてそれを逃げてきたと表現しています。引っ越した先で雨の多く晴れの少ない金沢を嫌う少女のセリフですが希望を見出したいという意味が含まれているとも感じられるセリフだなあと。元の世界のぼくとノゾミの関係というのはこんな感じなんですね。ノゾミが何か言ってもぼくがなにか解決できるわけではなくただ話を聞くだけ...でも互いに他人に言えないことを話せる関係。こういう互いの心に距離のある男女の関係を描くのが米澤先生のうまいとこだと思いますねえ 世間一般の恋人ではなくかといって友達というわけでもない

だけど互いに自分の素の一面を見せられるような関係...共鳴してるというかもどかしい。こんな彼女欲しいなーー

あさのの隣席はいつになったら埋まるのやら…(/ω\)