若者応援ソング竹原ピストル「よーそこの若いの」考察
世の中にはつらい時に背中を押してくれるような熱量のある応援ソングというものが存在します。今回はそんな応援ソングの中でも竹原ピストルさんの「よーそこの若いの」という曲を紹介します。
この曲は住友生命の1UPのCMでおなじみの曲ですのでみなさんも聞いたことがあることと思います。
こちらが「よーそこの若いの」の歌詞となります
とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば桜やらひまわりやらが
特別あからさまなだけで季節を報せない花なんてないのさ
よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」
よー、そこの若いの
君だけの花の咲かせ方で
君だけの花を咲かせたらいいさ
とかく忘れてしまいがちだけど
とかく錯覚してしまいがちだけど
例えば芸能人やらスポーツ選手やらが
特別あからさまなだけで
必死じゃない大人なんていないのさ
よー、そこの若いの
こんな自分のままじゃいけないって
頭抱えてるそんな自分のままでいけよ
よー、そこの若いの
俺の言うことをきいてくれ
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」
よー、そこの若いの
君だけの花の咲かせ方で
君だけの花を咲かせたらいいさ
君だけの汗をかいたらいいさ
最初にこの曲を聴いたときは今を生きる若者にありのままの自分でいいんだよと励ますだけの曲に感じたのですが。歌詞をすべて手書きして見返してみると優しいだけの曲ではないような気がしてきました。気になったフレーズはこちら
「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ」
よく敷かれたレールからはみ出して自由に生きろという歌詞の曲がありますね。あれずっとあさのは「実に乱暴で無責任なことをいうなあ」と感じていました。安定した生活の中にも幸せはちゃんとあるしそうして家庭を支えることは美徳であると思います。「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ」とはそうした部外者の無責任な言葉に振り回されるのではなく自分の意志で生きろということだと思いました。進路で悩んだときに「自分の意志で決めろ」と言われてはちょっと親切でない、冷淡な気がしますが主体的に決断することが生きることであるとするならばそれはとても大切なことです。
「不安とは自由のめまいである」という言葉はキルケゴールの言葉です。まったく自由に生きるとはひどく不安にさいなまれることであり、人の指示で生きるというのはある意味とても楽なことです。そういう点ではこのフレーズは優しいだけではないある種厳しさを伴った歌詞であるとも言えます。うーん考えすぎな気もしますね(/ω\)
されどこのあさの説で考察するとこの歌詞は力強く背中を叩いてくれる曲です。叩かれた部分は痛いでしょうがその痛みが主体的に生きているという証であり、そういった痛みをなしには人は成長できない。そういう意味でこの曲は優しいだけではなく主体的な選択の苦しみを味わいながらも自分らしさに誇りをもって強く生きよということだと考えました。
ぜひ読者のみなさんの考えも聞かせてください
あさのでした