プロログ

ゆるーく登山や哲学的なことを語ります たまに恋愛論を語りますが説得力はないも同然なので不毛だったりします できるだけ読者の皆さんに楽しんでもらえるよう有益な情報の発信に努めます

旅に出たいという心理について考えた

 

人生の中で漠然と旅に出たいという気分になることは人間割とあることですよね

またこの時の「旅」とは目的地なくその過程や出会いを楽しみとするものと定義します

そんな旅に出たいという衝動は何を意味しているのか綴っていきます

 

旅の歴史と人々の意識の変遷

今でこそ旅は快適で楽しいものと捉えがちであるが移動手段や道路の整備が整うまでは大して舗装されてもいない道をひたすら歩き続けるという苦行でした。当時の人々に旅をさせる動機は「信仰」であり世界では聖地への巡礼、日本でも一生に一度は伊勢参りをする文化が強く根付いていました。もっと大昔の太古の時代では狩猟生活の中で獲物を追いかけたり、より豊かな土地を探し求めたりが旅の理由であり生きるために切実かつ危険の伴う行為であったといえる。

 翻って現代において旅をしたいと考える理由は何なのだろうか?ディズニーランドはたしかに夢の国として認識されており信仰ともいえる。盲目的な信者もいるし教義の設定も緻密だ。規模においても並みの寺社では敵わないし人々を幸せにしてもいる。されどウォルト・ディズニー・カンパニーはエンターテイメント会社であり宗教法人ではないため信仰のためとはいえないだろう。レジャーでいっか。また旅には目的地を設定しない。もしくは形式的には設定しても実際のところはその過程を楽しむという旅もある。ツーリングがいい例だ。これはただのレジャーとするには乱暴なくくりでありどちらかというと非日常を味わうことがメインであり己を見直したり、人生経験の意味合いが強い。

大昔 獲物を追いかける 生きるために新天地を求める

そこそこ昔 信仰を叶える

現代 レジャー 非日常の体験と精神の深化

旅に出たいという心理の裏側

 1人旅は基本的に自分の身一つで行動する。全く異なる場所に行くと自身を知っている人はいないし自分の立場も他者の目も変わる。旅には自分のローカルな肩書は持っていけないのだ。人が無意識のうちにこの現象を求めて旅に向かわんと欲しているのであれば、旅に出たいという心理の裏には自分の社会的な立場を脱ぎ捨てたいという意識があるといえる。平凡な日常からの脱却であり社会の駒としての意識から逃れようという行動である。こう書くとなんだかネガティブな理由に思えるかもしれないがむしろこの上なく健全な感情だと思う。ロボットならばともかく人間であれば延々と流れ作業をする生活に疑問を持つのは当然であり、そのストレスの発散の手段を求めることはごく普通である。食べ物の中に多少有害なものが含まれていてそれを尿として排出するのと同じである。

旅に出たいという欲求を抑圧すべきでない

上述のようにストレス発散や人間性の回復を目的とした旅であればその欲求を抑圧しては体や精神的によろしくない。また旅には自身の心境の変化や価値観の変化が理由で行きたいと考えるものもある。ちょっと狭い世界で満足できなくなったり、近場でも知らないところに行ってみたいと考えたりはその人が新しい価値観や考え方を受容できるようになったことの証でありステップアップのチャンスといえる。水が流れなければ腐るように人間も異なる視座や新しい価値観を取り入れねば時の流れとともに考え方が固定化し保守的になる。保守的というと聞こえはいいが実際は何かしようと思っても理由をつけて行動しないだけというタイプでこれでは人生において新しく何かを始めることもできなければ既存のコミュニティでしか生きられない。さらにそのコミュニティの人間も時の流れとともに考え方は普通は変化するので結局だれとも分かり合えなくなる。

旅に限らずに何かしたいとおもったら全否定はよくない

世の中できることとできないことはやっぱりあるもんでそれは金銭的な制約であったり体力気力や時間の問題だったり様々だ。でも全否定してはよくない。そのうち全てにおいて欲求がなくなってしまう。節約節約をしてついに物を欲しいと感じなくなるのは何とも悲しい。若者の○○離れが顕著な事態も心配である。エベレスト登るのは無理でも近所の山や森林浴を楽しんだりとやりようはあるし得られるものはある。旅は知的創造行為であり別に行き先や費用によって満足度が変わるわけではない。他人の家の庭にばれないように侵入して遊ぶのはたぶんすごく楽しい(やらないようにね

 

自分がしたいことはできるだけ叶えてあげようってことを大切にしていきたいもんですね